ピアノの先生(いとしさと切なさと恐れ多さと)

専門学校時代、何人かの良い音楽の先生に出会った。悪い音楽の先生もいたけど、今日は良い人の話だ。


平下政志さんというピアノの先生がいた。
フュージョングループMALTAのキーボーディストで(よく知らなかったけど)、鍵盤奏者ではあるが作曲家という感じだった。持っている授業も、ほとんど作編曲系だった。


『好きなピアニストは?』と聞かれても特にいないですとしか言わないが、実を言うとこの人だけは“好きなピアニスト”だ。

人柄を知っているし面識があるから尚更な部分はあると思うが、彼は本当に素晴らしい。

ただのCM7を鳴らしただけでも、自分とは全く違う音がする。
街を歩いていたらその辺でぼーっとしていそうなおじさんだが、ピアノを触らせるとめちゃくちゃ理論詰めなスケールやコードを使ってきたりする。全然ぼーっとしてない。それでいて、演奏は堅くなく、ベテランの噺家のような流暢な展開をする。


ピアノ科の生徒は最初6人ほどいたが、退学や不登校などを理由にあっという間に3人になり、1年の終わる頃には私と平下さんのマンツーマンレッスンになっていた。

彼は口下手で、自分の授業を進行するという面では教えるのが下手だったが、私の必要とする課題には協力的で、『初見能力を上げたいです』と言えばその訓練に付き合ってくれたし、不器用なりに何かと世話をしてくれた。


本人の差し障りのない人柄、格の違いすぎる演奏の音、マルチプレイヤーなところ、いつも無表情なのに音だけは表情豊かなところ。それらを総合し、この人のことはひとつの作品として好きだった。



2年に上がり、平下さんの授業がないことに愕然とし、日々『学校に行く意味がない』と零した。

ある日SNSに平下さんの演奏がいかに素晴らしいかを徒然に投稿し、最後に『授業ほしいなぁ』と書いたら、それを見た親しいギター科の先生から『その望みは叶うでしょう』とコメントがあった。翌日、あっという間に平下さんの授業が組まれた。


そのギター科の先生もまた、私のことを(絶滅危惧種のピアノ科生徒として)気にかけてくれていた。長髪に髭を生やした大男で、山に籠って木こりでもやってそうなワイルドな雰囲気の人だ。

初回授業の日。
ギター科の先生が私と平下さんが一緒にいるのを見かけて、冗談で『この子、平下さんに抱いて欲しいそうですよ!』と大胆に声をかけていった。

そこまで言ってないし思っていないのだが、平下さんの前で普通に否定するのも失礼な気がしたので、『そんな恐れ多いこと言ってませんよ!』と笑って流した。平下さんもまた冗談なのを分かっている上で、『僕じゃダメだよ~』と流した。

ギター科の先生は元々そういう冗談が大好きな人なのだが、平下さんにまで余計な気を使わせないでほしい。とはいえ、私がこの授業枠を貰えたのは、彼がいろいろと裏で手を尽くしてくれたおかげなので、感謝しないといけない。



二年制の学校だったので、卒業もあっという間だった。

平下さんは私にとってあまりに格上、神格化された人物だったので、卒業後に連絡を取ることはないままだった。それこそ恐れ多いというか、私のようなポンコツにメールを返す時間すら取らせてはいけないと感じていた。

先生の元生徒ではあるが、もはやただのファンだ。本当は“同業者”と言えないといけないのだけれど、平下さんの前で言う度胸はまったく無い。



卒業して4年後、Facebookで平下さんの出演情報を見かけた。羽田空港のラウンジでの企画演奏で、ジャズバンドに混ざっているらしい。

突発的に羽田空港に向かった。
事前に連絡しようかと思いFacebookを開いたが、平下さんを前にすると自信も自己肯定感も皆無になる私は何も送れなかった。


空港に着いた。
早く着きすぎたので1人でお茶をしていたのだが、憧れと恐怖の入り交じった感情に押し潰されそうだった。挨拶していこうか、何も言わずこっそり聞いて帰ろうか、それすら決められないストレスで吐きそうだった。これは大袈裟な表現ではなく、本当に手が震えていた。力が入らなくて紅茶カップが持てなかった。


1年生の時、君はバーなど現場に出た方が伸びるよとすすめてくれたのは平下さんだった。おかげで私は本当に伸びたと思う。
けれどもだ。私も成長し、確かに平下さんはよく私を褒めてはくれたけど、同時に『それ以上を教えるに至っていないから褒めてくれるんだ』と捉えてしまう私の自己肯定感の低さは、平下さんへの恐怖感でもあった。

小物ほど、よく人を批判する。
それは自分との差が少ないからこそ、相手を言葉でこき下ろそうとするのだ。
妬み嫉みの渦巻く音楽業界で、平下さんはそういう発言を一切しない人だった。それがポリシーと言うよりは、興味自体がないように見えた。どんな仕事も音楽も淡々とこなしてしまうあの人には、誰が上手くても誰が下手でも関係がなく、いちいち目に入らないのだと思う。ましてや私が少し上手くなったくらいで、平下さんに感想を持たせることなどできない。

講師業だって、教えることに熱意があるわけではないだろう。あくまで仕事だからやってるのだ。彼は全てにおいて職人だった。


憧れと恐怖は混在するのだな...と冷静に思いつつ、吐き気をおさえて会場に向かった。

ただ好きなだけとか、数年ぶりに片思いの異性に会いに行くようなものだったら、もっとウキウキとするのかもしれない。
しかし私が向かう先にいるのは、数年ぶりに会う大魔王かなにかだ。尊敬もしてる、子分として慕ってもいる、そして恐れる存在。

たくさんいる生徒のうちの1人だと分かっていても、もし挨拶しに行って『誰だっけ』なんて言われたら多分トイレで泣く。そんなことを考えながら、足取りが重くなる。自分で来たくせに。



演奏が始まる時間になって、フロアにわらわらと人が集まり出す。私はとりあえず見つからないような場所に移動してこっそり聞くことにした。

久しぶりにお見かけする平下さんは全く変わっていなかった。

1000人の前で弾いたって緊張しなかったのに、平下さんの演奏を聞いている間ずっと緊張しっぱなしだった。相変わらずめちゃくちゃに上手いし、一方的に積み重ねた思い出が溢れてきてまた吐きそうになっていた。(泣きそうなわけじゃない)


演奏が終わった。
なんて声をかけたら良いのか結局思いつかず、何も言わずに帰ろうとしたところで、出演者のメンバーに見つかった。ウッドベースを抱えながら『えっ、新木?』と声をかけてきたその人も、学校にいたベース科の先生だった。

うわー久しぶり!と気さくに声をかけてくれたことで、私は一旦平常心を取り戻した。しかし、ベース科の先生に挨拶してしまったらそれこそ平下さんに挨拶しないわけにはいかない。再び焦る。

先生が、そそくさと控え室に帰ろうとする平下さんを呼び止めてくれた。

私のゴミのような精神状態など知らない平下さんが、これまた気さくに(けれどいつも通り無表情で)声をかけてくる。


『えーっ新木さん!久しぶり!あれ、なんか痩せたよね~。お綺麗になられて...。そういえば結婚式したんだって?今日来てたなら演奏代わってくれればよかったのに~。僕はもう作編ばっかでプレイヤー側あんまり自信ないんだよ~。最近どうしてるの?』


こんなに口数の多い人だったっけと、少し驚いた。無表情な平下さんなりに、多少なり懐かしさや嬉しいと思ってくれたのなら光栄だけれど。ていうか、忘れられてなくて良かった...。

そうそう、いつもこういうことを言う人だった。
すぐに『僕の代わりに弾いておいて』とか『仕事代わってほしい』とか言うのだ。君はセンスが良いから大丈夫って、本心かは分からないけどそういう褒め方をする。

結婚したことも知ってるんだ...と一瞬思ったが、どうせ例のギター科の先生が学校で言いふらしたに違いない。あの人はなんでもすぐ喋る。まぁ、その口の軽さのおかげで授業を組んでもらえたのだけど。


平下さんから、生徒の人数が少なすぎてピアノ科が滅んだことを聞いた。そりゃそうだろう、あの時でさえピアノ科は私1人しかいないようなものだったし。

他にも、立ち話のわりにはいろいろ話した気がするのだけれど、緊張でよく覚えてない。


帰路について、やっとFacebookからメッセージを送ることができた。久しぶりにお会い出来て良かったことや、突然ですみませんでしたみたいなことを書いたと思う。返信で、『今度しんきさんの演奏も聞かせてね』と来て、私は震え上がった。


殺される...


それくらい怖い一言だった。

震える手で『お聞かせできるようまだまだ精進いたします』と返して、私の長い一日は終わった。




それからさらに数年。
平下さんと再会したのは、いつか日記に書いた佐倉先生の葬儀会場だった。

佐倉さんは華やかな音楽葬を望まれたらしく、葬儀会場では珍しくフルバンドが組まれていて、そこて鍵盤を弾いているのが平下さんだった。

その葬儀でいろんなことを考えた。

平下さんだって、いつまでご健康かは分からない。私が死ぬまでかけても追いつけない人物だけれど、少しでも近づけるように(会うだけで手が震えないように)努力しようと改めて思った。



そんな親愛なる平下さんの音源をふと調べていたら、YouTubeにチャンネルが出来ているのを見つけた。つい1か月前くらいから投稿しだしたようだ。

生演奏ではなくても、久しぶりに聞くその音に、スケルツィオを聞いた時のような何とも言い難い感情でいっぱいになる。





【New!】

 

2020.10.26

ORDERページを再掲載いたしました。

ご発注・ご依頼の参考にしていただけます。

 

2020.9.02

新規作成した絵を掲載いたしました。TOP画像およびGALLERYでご覧いただけます。

 

2020.9.02

演奏事業の再開・中止に関する最新情報を更新いたしました。詳細はNEWSにて。

 

2020.6.18

ORDERページ(注文参考情報)を現在非表示にしております。編集完了次第 再掲いたしますが、それまでの間につきましては料金等 直接お問合せください。

 

2020.4.15

コロナ感染拡大防止のため、4月・5月・6月の各種イベントと演奏業が中止・延期になります。NEWS

 

2020.4.4

▼食育スペシャリスト中村詩織さんに制作のご依頼をいただいたLINEスタンプが販売開始いたしました!

▼イラストメイキング動画のYouYubeリンクを追加いたしました!

どちらもLINKからご確認いただけます。

 

2020.4.4

コロナ感染拡大防止のため、4月に予定しておりました各種イベントを中止・延期とし、該当宣伝ページを削除いたしました。騒動が収束次第、改めて設定と告知をいたします。NEWSに掲載中のイベントは現在のところ開催予定となっております。

 

2020.3.6

プラネタリウム朗読会への出演情報、マンドリンオケへの出演情報を追加致しました。

詳細はNewsへ。

 

 

2020.1.28

新作イラスト「雪」を追加いたしました。

※デジタルイラストへ更新

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