無償を美しいとする道徳

たまたまつけたテレビ番組で、ある発明をアイデア商品に採用された小学生が、いくら儲かったかというインタビューの回答で『困ってる人のために作ったものだからお金は受け取らないことにした』と言っていた。両親とも話し合って決めたという。番組はそれに対し、素晴らしいという反応をした。


私はこういう選択こそ愚かだと思う。
言葉を選ばなくて良いのなら、親も子も大変馬鹿だ。

お金を受け取らない姿勢を美談にしてはいけない。無償の心は道徳的に美しいとされているが、その道徳感こそがもはや悪質な宗教なのだ。それは無自覚のまま、そして潜在的に日本人に刷り込まれている。


例の小学生は、どうしてお金を受け取らなかったのだろう。
本人は『困ってる人を助けるために作ったものだから』と言っている。ならば、お金を受け取りそれを次の費用にすれば、もっと多くの人を助けられたではないか。

この小学生はお金を受け取ることをただの『ご褒美』か『お小遣い』だと思っていて、お金が生み出す〝可能性〟を知らないのだ。そしてその親もまた、同じレベルの考えなのだろう。無償を美しいとしている宗教の信者であって、子供がお金の味をしめることを怖がっている。



私なら、お金は必ず受け取らせる。
自分の能力がただの褒め言葉ではなく、国の共通通貨で評価されたことの意味を教える。そしてお金を受け取ることに慣れさせ、その使い道を選択する機会を与えるのも重要な教育だ。

『困ってる人のために作ったから』と言うほどの奉仕の心があるのなら、受け取ったお金を次の奉仕に生かす方法を考えさせればいい。
ユニセフだとか福祉に寄付するのも良し、次のアイデア商品の開発費に当てるのも良し、一旦手元において資産を増やし、それを元金にさらに広い規模の問題を救う費用にするのも良しだ。

様々な選択肢を提示して、お金で回っている世界の一端を握らせる。それは大袈裟なことではなく、回転寿司のレーンに流れるお皿を1枚つまみ出すような気軽さで始められることなのだ。

動き続ける経済の流れの中に手を突っ込ませ、自らも漏れることなくそのレーンから受け取ることと使うことに慣れるべきだ。その経験は遅れるほど、搾取されるだけの貧乏人になってしまう。
ここで言う貧乏人とは、『人を助けたい』という奉仕の目的を果たすための余力すら持てないことを指す。


無償を美しいとする教育なんて、誰も幸せにならない。
あの小学生は、お金を受け取ることに慣れるための機会と、手にしたお金の可能性や使い方を模索できる1つの機会を失ったのだ。





【New!】

 

2020.10.26

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ご発注・ご依頼の参考にしていただけます。

 

2020.9.02

新規作成した絵を掲載いたしました。TOP画像およびGALLERYでご覧いただけます。

 

2020.9.02

演奏事業の再開・中止に関する最新情報を更新いたしました。詳細はNEWSにて。

 

2020.6.18

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2020.4.15

コロナ感染拡大防止のため、4月・5月・6月の各種イベントと演奏業が中止・延期になります。NEWS

 

2020.4.4

▼食育スペシャリスト中村詩織さんに制作のご依頼をいただいたLINEスタンプが販売開始いたしました!

▼イラストメイキング動画のYouYubeリンクを追加いたしました!

どちらもLINKからご確認いただけます。

 

2020.4.4

コロナ感染拡大防止のため、4月に予定しておりました各種イベントを中止・延期とし、該当宣伝ページを削除いたしました。騒動が収束次第、改めて設定と告知をいたします。NEWSに掲載中のイベントは現在のところ開催予定となっております。

 

2020.3.6

プラネタリウム朗読会への出演情報、マンドリンオケへの出演情報を追加致しました。

詳細はNewsへ。

 

 

2020.1.28

新作イラスト「雪」を追加いたしました。

※デジタルイラストへ更新

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